致命的にもなる「高血圧性脳症」

致命的にもなる「高血圧性脳症」

高血圧では常に血管の壁に高い圧がかかっているので、血管の壁が障害されて厚くなり、動脈硬化を起こします。動脈が硬くなると血管は弾力性を失うのでさらに血圧が上がります。この悪循環が原因で脳梗塞や脳出血、心臓では狭心症や心筋梗塞がおこります。

また、高血圧に糖尿病、高脂血症、肥満が加わると血管の状態は急速に悪くなりますので、この四つの病気がそろった状態を「死の四重奏」と呼んだりします。

万病のもとになるこの高血圧症を治療せず放っておくと「高血圧性脳症」を発症することがあります。「高血圧性脳症」は血圧が異常に上昇して脳障害が引き起こされる「高血圧性緊急症」の一種で、時には致命的にもなる病態です。最近当院で経験した症例を紹介します。


「高血圧性脳症」と診断した58歳の男性のケース

数日前から頭痛、吐気、両足に力が入らない、顔や足がむくむ、気分不良などの症状で受診されました。診察室では非常に顔色が悪く、元気がなく、座っているのがやっという体調不良の様態でした。数日間食事が摂れていないせいもあり質問に対する反応は非常に鈍く、全身に力が入らないという状態でしたが、それでもなんとか車を運転して受診していました。一旦ベッドに横たわらせるともう起きあがれないほど頭痛と倦怠感が強く、意識状態はややもうろうとしていました。

血圧を測定すると血圧計では測定不能で、250mmHg以上の重症高血圧が疑われました。またCT検査では脳全体が高度に腫れており、広範な脳浮腫の所見でした。下の写真で脳の中央部が左右対称性に羽を広げたように黒くなっている所が脳浮腫で、脳幹部という意識の中枢も高度に腫れて黒くなっているのがわかります。意識レベルが落ちていたのはこのためだったのです。この方は独居で病院にかかったことも検診も受けた事もなく、長期に亘って高血圧を放置していました。「高血圧性脳症」と診断し、緊急で基幹病院の集中治療室に搬送しました。降圧や脳浮腫の治療を行い1週間後に退院することができましたが、腎機能障害、貧血症、低蛋白血症など他にも多くの病気を有していました。

致命的にもなる「高血圧性脳症」
致命的にもなる「高血圧性脳症」

原因は「脳血流の自動調節能」の破綻

人間の血圧は一日の中でも常時変動しています。脳内の血流量が血圧の変化でいちいち変化しては困りますので、脳の血管は拡がったり縮まったりして脳血流量を一定に保つようにコントロールしています。これが脳血流の自動調節能です。よくできた仕組みです。高血圧の人は健常者より高い血圧値までこのコントロールが効いているのですが、200mmHg以上の重症高血圧が続くとさすがにコントロールシステムが決壊し、一気に脳浮腫が引き起こされます。これが「高血圧性脳症」のメカニズムです。症状は頭痛、悪心、嘔吐、痙攣、意識障害などですが、最近は高血圧の治療がきちんと行われていますので症例は少なくなっています。この方もこのまま病院に来なければ生命に危険が及んだかもしれませんし、激しいけいれんを起こしたり、呼吸障害や腎機能障害を惹起することもありますので、高血圧の管理は大変重要です。

「神経神話」:右脳型人間、左脳型人間の幻想

「神経神話」:右脳型人間、左脳型人間の幻想

血液型と性格との間に何の相関もないことは周知の事ですが、今だにその幻想から逃れられない人たちがいます。遊びでやっているうちはまだいいのですが、社会的地位のある人たちまでが血液型で部下を区別したり、就職や人事を決める根拠にしては困ります。大人たちが正しい事を教えないと子供たちの友人関係にも影響が出ます。宴席でその話になると、私は長々と血液型レクチャーを始めるので友達に嫌がられています。

これと同じような幻想に「右脳型人間」「左脳型人間」というのがあります。先日見た雑誌に「スポーツに勝てるのはポジティブな考え方を維持できる右脳型人間だ」というような事が何の臆面もなく書かれていて大変驚きました。これが今問題となっている「神経神話」です。利き手や利き腕があるように脳にも「利き脳」がありそれによって人柄や性格や能力が影響を受けるという誤解は今でも根強くあります。左脳は論理や言語の脳なので「左脳型人間」は論理を重んじ、理性的で理屈っぽい傾向がある。右脳は感性の脳なので「右脳型人間」はクリエイティブで芸術家肌であるという風に勝手な見たてをするわけです。

この何の根拠もない間違った考え方は、90%以上の人の言語中枢が左脳にあることがきっかけになったものと思われます。確かに言語中枢の多くは左脳にあるのですが、あらゆる脳の働きは必ず左右の脳が統合されて行なわれているため、一方が優位になったり、利き脳になることはありません。言語中枢が左にあるために左半球を「優位半球」などいういい方をしますが、このような脳の機能を強引に人の性格にまで拡大させた結果だろうと思います。

左右の脳は「脳粱」(のうりょう)という神経線維の束で繋がれていて互いに連絡を取り合っています。脳神経外科では重症のてんかん患者に対しこの脳粱を切断する手術を施すことがあります。これを行うと左右の半球は分離して「分離脳」になり、左右の手が全く違う事をしようとしたり、眼に見えている物が何なのか判別できないなどの症状が出ます。左右の脳は別々に働いているのではなく、左右が統合されて、物を見たり認識したり思考したり行動したりしているのです。複雑な絵を理解したり音色を聴き分けたり、いい音楽に感動できるのも両半球の協調によるものです。

脳科学は飛躍的な進歩を遂げ、未知のテーマがひとつひとつ解明されてはいますが、まだまだ多くの謎が残されています。非常に神秘的な領域だけに「神経神話」と呼ばれる色々な俗説が生まれてくるのかもしれません。

参考文献:「脳と心のしくみ」池谷裕二監修2015他

急に出現し上行する両足の脱力・ギランバレ―症候群

急に出現し上行する両足の脱力・ギランバレ―症候群

脳は右半球と左半球に分かれていますので、当然の事ながら脳の病気はそのどちらか一方の半球に起こります。脳からの神経は延髄という場所で左右交差して下降しますので、右半球に脳梗塞や脳出血が起これば左半身の麻痺がおこり、左半球なら右の麻痺が起こります。その最も重症の型が半身不随ということになります。ですから手足の麻痺やしびれなどの症状が「片側」ではなく「両側」に起こってきた患者さんをみると、私たちは脳実質の病気はまず除外して考えます。神経学的に説明がつきにくいからです。

ギランバレ―症候群は風邪や下痢などの感染症の後、数日から数週間後に種々の神経症状を起こしてくる病気です。両足に力が入らず歩きにくくなる症状がまず起こり、その後左右対称性に上肢の脱力、顔面の麻痺、全身の麻痺へと進んでいきます。症状の程度はさまざまで通常は4週間以内に進行は止まりますが、中には嚥下困難や喀痰排出困難、呼吸筋麻痺などを併発する重症例もみられます。通常は進行が停止したのち2~4週間後から回復が始まり数カ月で治癒します。

この様な経過をたどる病気は症状が両側性ですので脳実質の病気でないことは明らかです。ギランバレ―症候群は上気道感染症、下痢などの原因となるウイルス(カンピロバクター)が引き起こす全身の末梢神経の病気で、自己免疫疾患一つに分類されています。末梢神経を構成する糖脂質という物質を免疫系が異物と認識してしまい、過剰な免疫反応で自らを攻撃し障害するのです。外来で疑われた場合は精密検査のために直ちに基幹病院の神経内科に入院していただくことになります。軽症のタイプでは特別な治療は必要なく数カ月で完治しますが、重症タイプでは急激に悪化し、呼吸筋麻痺、人工呼吸器装着となるケースもありますので、慎重な対応が必要な病気です。

抗認知症薬を保険適応から外したフランス事情

抗認知症薬を保険適応から外したフランス事情

フランスの医療保険制度はシビアです。ある薬が一旦保険適応になっても発売後にその効果が低いと判定されると徐々に保険でカバーされる割合が低くなります。7年前に抗認知症薬もその割合がかなり引き下げられていましたが、今回ついに保険適応から完全に外されることになったのです。

フランス保健省が決定した対象薬は4種のアルツハイマー型認知症薬、アリセプト、レミニール、イクセロン(リバスタッチ)、メマリーです。アメリカ、日本をはじめとする各国でこれらの薬は「病気自体を治したり食い止める効果はないが、進行を遅らせる効果がある」と認定されていますので、この決定が他国にすぐに影響を及ぼすことはなさそうですが、アメリカのガイドラインにも「効果は控えめ」と書かれていますので、これらの薬を処方する時は医師の説明義務と患者家族の理解が益々大切になると思います。

フランス保健省は、
①これらの薬を使っても病気の重症化を抑えられない②日々の生活の質をあげることはできない③施設への入居時期を遅らせることはできないと判断。一方で吐き気や食欲不振、下痢、めまいなどの副作用は無視できないということで今回の決定になったようです。

今回の決定は私たち日本の臨床医にも少なからずインパクトを与えましたが、考えるべきは日本の薬づけ医療へ反省と非薬物治療の重要性の見直しかと思います。日本の抗認知症薬の処方量はオーストラリアの5倍、1500億円だそうです。副作用の出やすい85歳以上への処方がその半分ということですので、その適応をもっと絞る事を考えるべきなのかもしれません。フランスでは認知症に対する非薬物治療の研究が進んでいますが日本では安易に薬を処方する習慣があります。薬はあくまで認知症治療の一つの手段と位置づけ、認知症患者を包む社会の環境や周囲の対応をどう変えていくのか、考えるべきことはたくさんありそうです。

「虐待による外傷」の特徴を探る

「虐待による外傷」の特徴を探る

胸が苦しくなるようなつらく痛ましいニュースが続きます。事件のたびに児童相談所の責任が問われますが、いくら担当者が子供の様子を知るために繰り返し自宅訪問をしても、こわもての父親にすごまれて毎回追い返されている情景を想像すると、児相の職員にできることは限られているように私には思われます。臨床医は怪しいと感じるケースには遭遇しますが、断定はできません。それまでの外傷の頻度、成長発達の程度、養育環境、家庭問題など多岐にわたる情報が必要ですのでどうしても児相に連絡を取ることになりますが、その後どのような流れで対応が進んでいくのかは不透明です。

平成28年度の虐待児相談件数は心理的虐待、身体的虐待を合計して12万件を越え、過去最高となっています。身体的虐待とは「殴る、蹴る、投げ落とす、激しく揺さぶる、やけどを負わせる、溺れさせる、首を絞める、縄などで部屋に監禁拘束する」などです。子供への虐待症状は、1962年にアメリカの小児科医が小児に見られた原因不明の急性硬膜下血腫と多発性骨折の原因を探り、「被虐待児症候群」と呼んでから注目され始めました。

「虐待による外傷」の特徴を探る

虐待による外傷の特徴

1.皮膚所見

上の表(愛知県児童虐待対応マニュアル)にみられるように、黄色で示された部分は子供が日頃の生活でケガをしやすい部分ですが、赤色で示された部分に火傷や紫斑、腫れや傷がみられた場合は要注意とされています。お腹、耳、背中、足の内側、陰部などです。さらにケガや火傷の個数、新しい傷と古い傷が混在している場合などが診察室で疑う要素になります。

2.骨折の特徴

骨折は整形外科の専門分野ですが、これをどう評価するかは非常に大切です。古い骨折と新しい骨折が混在しているケースや、歩行年齢に満たない幼児の大腿骨にねじれたような螺旋(らせん)骨折がある場合、虐待の典型的所見とされています。また肋骨骨折も普通は幼児には起こりにくい骨折です。これは乳幼児を持ちあげて前後に激しく揺さぶった際に胸郭に強い外力が加わって起こる骨折と考えられます。

3.頭部外傷所見

虐待による頭部外傷(AHT)」として以前から知られていますが、これは非常に重篤で多くの場合命に関わります。親はほとんど「ソファーから落ちた」と説明します。もちろんその大半が単なる親の不注意によるものでしょう。しかし加害者が虐待を自白する事はなく、病院に連れてきた証拠を作りたいだけという可能性もあり得ます。慎重な対応が必要です。注意すべきは2歳以下の頭部外傷です。頭を激しく振る行為で動脈が断裂し急性硬膜下血腫が起こります。血腫が脳表を広く覆い、脳が虚血や浮腫を起こし、呼吸停止に至るか、意識障害、植物状態など重篤な後遺症を残します。嘔吐、ひきつけ、傾眠などの一般症状から見つかることもあり、虐待による頭部外傷は臨床医が常に気にかけておかなければいけない原因の一つです。

「アルコール依存症」と「うつ病」の危険な関係

「アルコール依存症」と「うつ病」の危険な関係

アルコールとうつ病はお互いを誘発しやすい危ない関係にあります。アルコール依存症がうつ病を併発する率はそうでない人の4倍と言われています。長く大量飲酒を続けることでうつ病を発症するケース。逆にうつ状態の不安や不眠を解消しようとしてアルコール依存になっていくケース。さらには断酒したときの離脱症状としてうつが現われる事もあります。

この両者が切っても切れない関係だということは私たちも経験的に知っています。楽しいお酒はいいのですが、つらい時に一人で飲む悲しい酒は孤独感がつのり、気持ちは際限なく落ち込んでいきます。仕事の失敗や人間関係の不調が自分のせいだと考えるようになりうつ状態に陥っていきます。一方、うつ病の人は抑うつ気分を紛らわせるためにお酒を飲むので酒量が徐々に増える傾向があり、最悪の場合、アルコールによる衝動性で自殺に至ることもあるのです。

アルコール依存症とは

依存症には物質依存とプロセス依存がありますが、ギャンブルはプロセス依存、アルコールは物質依存の代表です。アルコール依存の人は自分が依存症であることを決して認めません。しかし実際には時間や場所に関係なく「酒を飲みたい」という飲酒渇望状態にあります。一旦飲み始めると抑制が効かず、飲む時刻、時間、量のすべてがコントロール不能となります。飲めない時には手のふるえ、発汗、動悸、吐気などの禁断症状に苦しめられるため、アルコールを手に入れるためには何でもやりかねない状態となります。長期的にはうつ病、不眠症、不安、イライラ感などが常時現われるようになり、その結果として家庭内暴力、児童虐待、無断欠勤、解雇などの大きな問題を生み、社会的損失を引き起こすのは大変残念なことです。

うつ病からアルコール依存症へ

うつ病には内因的うつ病と心因的うつ病がありますが、精神的な悩み、責任感の強さからくるストレス、喪失体験など原因がはっきりしているものは心因的うつ病です。気分の落ち込み、意欲の低下、不安感、全てを悪い方に考える、疲れやすい、自分がダメな人間と考えるなどの症状が進んでいき、それを忘れるために飲酒量が増えアルコールに依存していきます。その結果さらに心身が衰弱し、生きる意欲や社会人としての正しい判断力が失われていくのです。

アルコール依存症の治療

専門の施設では多くの治療が行なわれていますが、基本となるのは精神療法によるリハビリ療法です。時間をかけて本人に飲酒問題の現実を認識させ、断酒の決断に導く方法です。文章にすれば簡単ですが、実に大変な道のりだと思います。退院したあとすぐにアルコールに手が出ないように自助グループなどの参加や嫌酒薬などを使う治療も行なわれます。

うつ病の治療

うつ治療の三本柱は、#1休養 #2くすり #3精神療法ですが、まずは仕事を休ませて薬物治療を行います。うつ病の方はセロトニンやノルアドレナリンなどの脳内物質のバランスが悪くなっているのでそれを抗うつ剤で是正するのです。アルコールはうつ剤治療の障害となりますので禁酒が絶対条件になります。

アルコール依存症とうつ病はどちらかを発症するともう一方に延焼が及んでいく危険な関係にあります。そして両者をこじらせると治療は複雑で難しくなります。せめてどちらかを発症した初期の時点で近くにいる人たちが発見してあげて、早く治療に向わせてあげることができたらと思います。

原因は脳の炎症「慢性疲労症候群」

原因は脳の炎症「慢性疲労症候群」

いったいどんな病気なのか、さっぱり正体がわからなかった病気「慢性疲労症候群」も徐々に解明が進んできました。慢性疲労症候群(CFS)はこれまで健康に生活していた人が急に原因不明の激しい全身倦怠感に襲われ、その後強い疲労感と共に、微熱、頭痛、筋肉痛、脱力感、思考力の障害、抑うつ状態などの精神症状が半年以上続き、健全な社会生活が送れなくなる病気です。CFS患者の四分の一は長期にわたりほとんど回復が見られず、日中も臥床して生活し、生活保護受給者になるケースも多いとされています。この病気は健常者に見られる慢性疲労(疲れが溜まっているが、通常の日常生活や社会生活は可能な状態)とは全く違う病態です。病名に「疲労」という誰もが日常で経験している症状がついていて誤解や偏見を受ける可能性があるので、現在は「筋痛性脳脊髄炎 / 慢性疲労症候群」という病名で呼ぶことになっています。


おもな症状

1.微熱・頭痛・のどの痛み

解熱鎮痛剤に反応しない微熱が長く続きます。風邪をひいたときの様な頭痛やのどの痛みが続きます。

2.強い疲労感

日常生活ができないほどの強い疲労感が出現します。仕事や育児など原因がはっきりしていて通常の生活が営めている場合は「慢性疲労」ですのでこの病気とは全く違います。

3.激しい筋肉痛

全身や一部の筋肉に激しい運動をしたあとのような筋肉痛が現われ、動くこともできなくなります。

4.不眠

寝つきの悪さや中途覚醒、昼間の眠気など睡眠が障害されます。自律神経障害と言われています。

5.種々の精神症状

うつ状態が持続します。気分の落ち込み、意欲低下により仕事ができなくなり退職を余儀なくされる事もあります。注意力や集中力、記銘力障害なども出現し、若年性認知症との区別が難しいこともあります。


筋痛性脳脊髄炎 / 慢性疲労症候群の原因

何らかの感染症や環境的なストレス(過重労働、精神的ストレス、紫外線、化学物質などなど)をきっかけに神経系、内分泌系、免疫系の働きに異常をきたすと、免疫力が低下して体内に潜伏していたウイルスが再活性化されます。このウイルスを抑え込むために体内ではサイトカインと呼ばれる免疫物質が産生されるのですが、これが脳に炎症を起こして脳機能障害を引き起こします。特殊なPET検査によって、視床、中脳、扁桃体に炎症が強いケースでは認知機能障害が強く、帯状回、視床では痛み、海馬では抑うつ症状が強く出るという相関関係が判明しています。つまりこの病気は強いストレスに曝されて免疫力が低下し、脳のあちらこちらに炎症が引き起こされて多彩な臨床症状をきたす、実に複雑で治療困難な脳の病気だという事がわかってきたのです。米国でも今後5年以内に科学的根拠に基づく新たな診断基準を作成する計画になっています。

アリ地獄のギャンブル障害

アリ地獄のギャンブル障害

「報酬」とは何でしょうか。仕事を頑張った時に貰える御褒美。まず思いつくのがそんなイメージではないでしょうか。しかし辞書を引くと「労力に対して与えられる金品」としか書かれていないので、労力の中身とは無関係のようです。脳の中には報酬系という神経回路が備わっています。この報酬系に関わっている神経伝達物質がドーパミンです。ドーパミンは生存に適した条件が満たされた時に放出され、気持ち良さや幸福感をもたらします。それによって動物は生命を維持するための最適な行動をとるように促されます。快感は報酬なのです。

動物が生存するために不可欠な回路なのですが良い事ばかりではありません。報酬系は下等動物にもありますが、人間は彼らと違い気持ち良さを記憶しています。そのため一旦快感を知ってしまうと人は報酬系がさらに強く刺激される体験を求めるようになります。これがギャンブル依存の始まりです。ギャンブルはリスクを伴うもの。誰にもわかっているのですが、リスクを伴うと人間の報酬系は一層強く刺激されるらしいのです。報酬系を刺激する術を知ってしまうとやがて誘惑に抵抗できなくなり、快感を得るためその行動に埋没してゆきます。そこからは快感と渇望のアリ地獄です。

2016年にカジノ法案が衆議院を通り政府は2020年東京オリンピックまでには公営カジノを開始する勢いです。同じ賭博なのに公的に経営すれば合法でそれ以外は違法になるのが何故なのか門外漢の私にはわかりませんが、どちらにしても人間に対する影響は同じです。現在、精神科学の分野ではギャンブル依存症ではなくギャンブル障害という言葉が使われていて、「嗜癖」という病気の一つに分類されています。嗜癖とは危険ドラッグ依存、覚醒剤依存と並ぶ非常に重症な依存症の事です。

嗜癖の恐い点は禁断症状と耐性です。ギャンブル障害の禁断症状は覚醒剤並みに重症で長く続き、ギャンブルをしたくてたまらない衝動、いらいら感、焦燥感、身体症状に長年苦しみます。どんどん強い刺激を求めてゆくのが耐性で10万、20万程度の額では興奮しなくなります。その結果大穴を狙って負け続け、家族や友人に嘘を重ねてあっという間に数百万の借金を背負い、その後は多重債務、自己破産とお決まりのコースをたどります。しかも、不定期に開催される競馬や競艇ではなく、ギャンブル依存の90パーセント以上がパチンコ、スロットであることを考えるとカジノが生む新たな闇を予測しないわけにはいきません。

このような危険性をはらんでいるにも関わらず、何の法的整備も医学的サポート体制もできていないこの国で、何故この法案を急がなければいけないのか。財源確保、観光立国という大義名分だけで突き進んで大丈夫なのか。実に心配な話です。

猛威をふるうインフルエンザの感染経路

猛威をふるうインフルエンザの感染経路

何となく当たり前だと思っている事でも、学問的に裏付けられるとなるほどと納得してしまうことがあります。インフルエンザが何故蔓延するのか。という命題です。

飛沫感染

インフルエンザの感染経路の第一は飛沫感染。インフルエンザ患者の咳やくしゃみで飛び散ったウイルスを含むしぶきを吸いこんで感染する経路です。咳1回で10万個のウイルスが2メートル、くしゃみ1回で4,5メートル飛散するといわれています。咳やくしゃみをする時は他の人から顔をそむけ、2メートル以上離れるように気をつけます。咳やくしゃみをした時に顔を押さえた手をすぐに洗う事、周囲の物に触れない事など周囲環境の汚染を減らす工夫が大切です。

接触感染

ウイルスが付着した物を触れることで感染します。感染者が触れた手すり、ドアノブ、椅子、タオル、コップなどに触れてしまい、無意識にその手を自分の口や鼻に持って行く行為で感染します。公共物や感染の可能性がある家族の物を触れた時、手洗いはもちろんですがまずはその手を顔の周辺に持っていかないように気をつけます。

空気感染

同じ空間、同じ部屋にいるだけで感染する空気感染。この空気感染が予想外に起こりやすい事が確かめられたという新しい研究報告です。米国メリーランド大学ではインフルエンザ患者142人の呼気を ①いつも通り呼吸している時 ②話している時 ③咳をした時 ④くしゃみをした時に分けて採取し、その中のウイルス量を分析しています。この研究によると①のいつも通り呼吸をしている時の呼気の48%からインフルエンザウイルスが検出され、その中の7割以上に感染能力のあるウイルスが確認されました。しかもこの結果はくしゃみをした時の呼気と差がなかったというのです。

感染の蔓延を防ぐために

インフルエンザウイルスは咳やくしゃみをしなくても「ただ呼吸をしているだけで」周囲の空気中に飛散し浮遊している。改めてその感染経路の重要性が確かめられた研究結果です。インフルエンザに罹患した人が職場や学校に現われた場合は、くしゃみや咳をしていなくてもすぐに帰宅させるべきです。咳をしている人に近づかない、手洗いを励行するという方法だけでは感染から身を守ることはできないのです。

参考文献 Proc Natl Acad Sci U.S.A 2018 Jan 30:115

「前頭側頭型認知症」という病気

「前頭側頭型認知症」という病気

昨年、大阪で品物を盗んで捕まった男性が無罪判決を受けました。その行動はあくまで認知症によるものなので本人の責任は問えないと裁判所が判断したからです。この男性は過去にも三度万引きで捕まっていたのですが、警察も家族もその病気に気づいていませんでした。この男性は大阪市内の売店で500円相当の品物を万引きして自転車で帰るところを店員に取り押さえられたのですが、裁判で記憶力の低下や長女の年齢を大きく間違えるなど不自然な回答をすることが多かったため認知症が疑われ、精密検査でこの病気がわかったのです。

大阪地裁が認定した病気の名前は「前頭側頭型認知症」。日本国内で最も多い認知症はアルツハイマー型認知症で、その他にレビー小体型認知症、脳血管性認知症などがありますが、この病気は認知症全体の5%以下で日本に約12000人の罹患者がいると推定されています。専門的な説明としては「主として初老期に発症し、大脳の前頭葉や側頭葉を中心に神経変性を来たすため、人格変化や行動障害、失語症、認知機能障害、運動障害などが緩徐に進行する神経変性疾患である」ということになるのですが、この珍しい認知症の特徴をかみ砕いて見て行きましょう。


前頭側頭型認知症の特徴

特徴1 行動の脱抑制

万引きなど社会的に不適切な行動を繰り返します。その万引きに計画性はないのです。目の前にあるから衝動的に取ってしまうだけです。ですから高価な宝石や時計を盗んだりはしません。漬物とかはさみとかどうでもいいようなものです。捕まって詰問されても悪気はないのであっからかんとしています。礼儀やマナーが欠如し自分勝手な行動を取るようになります。葬儀の場で食事を食べ始めたり、通夜で先に寝てしまったり帰ってしまったりします。周囲に失礼な事をしても気にしていないので「わが道を行く行動:going my way behavior」ともいわれます。交通違反や痴漢なども繰り返します。普通の痴漢(?)と違ってタイプを選んで痴漢するわけではありません。たまたま目の前にいる人に対して抑制が効かず衝動的に不適切な行動を起こすのです。病院では待合室で待つことに我慢できず、診察室にどかどかと文句を言いに入り込んでくることもあります。福岡大学精神科の尾籠准教授は「このような行動をとる人ではまずこの病気を疑うべき」と述べています。

特徴2 思いやりや共感の欠如

困っている人を見ても無頓着で共感できなくなります。妻がインフルエンザで高熱を発して寝込んでいても平気で食事を作るように命じたりします。(もともとはそういう人ではないので家族は非常に困惑します)人とのふれあい方が非常に冷たくなり、親が危篤でも関心を示さず見に行かないという冷淡な行動をとるようになります。

特徴3 常同行動(同じことをくり返す行動)

一日のスケジュールを時刻表のように厳密に決めて同じことを繰り返します。7時15分に散歩に出発して30分に公園に着いてどのコースを辿って何時に帰宅するかというようなタイムスケジュールを決め、それを毎日繰り返します。同じ食事のメニューをくり返して要求することもあります。毎日同じ物を買ってきて引き出し一杯に買いだめをしたりします。同じ調子で手を叩いたり同じ鼻歌を唄うといった行動を繰り返します。

特徴4 食習慣の変化

甘いものをたくさん食べるようになります。お酒やたばこの量も増えます。しかしこれも食べたいから食べるというより、目の前にあるから食べるのです。目の前になければわざわざ買ってきて食べたりはしません。好きなものでなくても目の前にあるものを全部食べたり飲んだりします。また、確認せず何でも口に入れる傾向も見られます。

特徴5 無気力無関心

認知症は気力がなくなりうつっぽくなる傾向が強いのですが、前頭側頭型認知症は特にその傾向が強いと言われています。日常生活でも周囲に興味がなくなり、意欲的に日々を過ごすということがなくなります

特徴6 保たれる記憶力と視空間認知機能

特徴的な種々の異常が見られるわりにはこの病気の方は記憶障害が軽いのが特徴です。
そのため診察室の椅子に足を組んで座り横柄な態度で医師に接する態度は、単に失礼な患者さんの様に見えますが、上記の特徴を御家族から聴取する事で診断が可能になります。また外出してもアルツハイマー型認知症にように道に迷うことはなく必ず帰宅できるので「徘徊」とは呼ばず、「周回」と呼ばれます。


前頭側頭型認知症の治療

1.非薬物療法

家族は他人に迷惑をかける状態になってしまった患者さんに、当然ながらいい印象は持っていません。なかなか受け入れてはもらえませんので、家族に病気のことを知ってもらう事がまず大切です。「物事を正しく判断したり抑制する前頭葉が働かなくなっているので、刺激に対して直接反応してしまうロボットの様になっているんですよ」と説明して理解を深めてもらう。その上で対応をしてもらうように努めます。

認知症の割には記憶力や視空間機能は維持されているので、カラオケ、ダンス、運動、楽器演奏などを日課に組み入れます。もともと常同運動や固執傾向があるので没頭して取り組んでくれます。また興奮している時に、隣で本人の好きな歌を唄うとそちらに関心がすぐ移り、つられて唄い出し興奮が和らぐといわれています。

2.薬物療法

残念ながらこの病気に対して効果が確認されている薬物はありません。興奮状態や暴力などの場合は抗精神病薬などを用いで興奮を鎮めるような対症療法を行うことになります。

【参考文献】「Dementia Japan :29 (2) 2015」「Schneller : no.105,2018」「臨床と研究 91,7」